ニュースレターバックナンバー

ニュースレターに掲載している、所長松原の「ん?そうか、それで?」と、寄稿いただいた先生方によるエッセイのバックナンバーです。 リストをクリックするとご覧になれます。

ニュースレターバックナンバー

■ News Letter No.38 (2012年12月23日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「達磨さんが転んだ」
 「達磨さんが転んだ」と鬼が唱えている間は、みんなは動いても良いが、唱え終わって振り向いた鬼に動いているところを見つかると、鬼のとりこになると云う遊びを知っていると思う。

 我が家から歩いて20分くらいのところに大阪と兵庫の境の猪名川が流れており、河川敷には野球場、サッカー場が広がっている。退職してからの数年間は走りに行っていたが、走ると疲れが残るようになり、今では歩いて行き歩いて帰って来ている。およそ一時間の散歩である。

 歩くようになって、走っている間は目に入らなかった河川敷の鳥が気になるようになった。特に冬の間は、どうしてそれまで目に入らなかったのか不思議なくらいの鳥の多さである。目につくようになると、やはり名前が気になる。双眼鏡などの装備はともかくとしても、図鑑くらいは持って行かなくてはと思い本屋に行った。どの図鑑も美しい鳥の写真で一杯であるが、気に入ったのは飛び方や歩き方などをイラスト入りで解説してある図鑑で、色や形は近寄らないと分からないが、飛び方や歩き方は遠くからでも分かるので、この図鑑はありがたい。

 感激したのがツグミの歩き方についての解説で、その本には、ちょこちょこと歩いては立ち止まり、またちょこちょこと歩く歩き方を、「達磨さんが転んだ」式歩行と表している。この本のお蔭で、遠くから一度見ただけで、ツグミを判別することが出来た。日本は図鑑天国だと聞かされたことがあるが、本当にそうだと思う。

 最近、大学生とおぼしき若者達が「達磨さんが転んだ」を遊んでいるのを見た。携帯電話で写真を撮り、動いたかどうかのチェックをしていた。

■ News Letter No.37 (2011年12月9日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「高校の文化祭」
 10月の中旬、私のいた高校では文化祭というものを行っていた。今ではどうであろう、当時は五日間にわたって行われていた。文化祭はクラブ活動の成果を発表する場であり、私の所属していた生物部でも、その一年間に作成した植物や蝶の標本を展示したり、観察結果を報告したり、勉強したての知識を披露したりした。生徒、父兄だけでなく、近所の高校の生物部員も押し掛けてるので、気合いを入れて準備をした。

 高3の文化祭の前に修学旅行があったが、サボって植物採集に行き、文化祭に備えたりもした。高3の文化祭の写真には、「二粒系AABB」とか「普通系AABBDD」とか書かれたポスターが写っている。
「CCDD」もあるが、植物名は学名で書かれており、写真からは読み取れない。「AABBDD」は下段中央にあり、その左上方に「AABB」があり、紙テープで繋がれている。「AABBDD」から右上方にも太いテープが伸びており、「Aegilops squarrosa DD」に繋がっている筈であるが、写真の枠外なので確認できない。木原博士の文字も見える。同級生の平塚保之君(現カナダ森林研究所名誉所員)の勉強の成果の発表である。

 Ae. squarrosaの標本も展示した。展示した標本は平塚君のご尊父、植物病理学者の平塚直秀先生が木原 均先生から標本に付着していた病原菌の同定を頼まれたときのものだと聞いた。生物部の指導教官の川崎庸三先生のご令兄の平田倹二さんが褌に締め込んで大陸から持ち帰ったAe. squarrosaが木原先生の研究の役に立ったという話も紹介された。初めて聞いた祖先調べの研究に、ビックリしたからかAe. squarrosaの名前は今でも覚えている。

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□特別寄稿 カナダ国立森林研究所名誉研究員 平塚保之先生

「木原博士と私」
 木原博士には数度だけ短時間お会いしたことがあるだけであるが、私にとっては長年にわたって尊敬してきたヒーローである。

 木原均博士は北大の山岳スキー部で父(平塚直秀・植物病理学者)の先輩で、父がよく木原博士と共にドイツ製のスキーを当時札幌で馬橇をつくっていた会社(後の芳賀スキー?)に見せて日本で最初のスキーを創らせたのだと自慢げに話してくれていたのが木原博士の名前を聞いた最初だと思う。真偽のほどは確かではない。

 このニュースレターに寄稿を続けている柴岡弘郎氏は高校時代からの友人で“生物部”で一緒に採集に行ったり文化祭では展示を色々やったりした。丁度そのころ木原博士は今では常識になっているゲノムの概念をきわめて明快に説明されておられ、それに感動し高校の文化祭の展示の一つのテーマとして取り上げた。木原博士は栽培種である二粒小麦と野生のタルホコムギが交雑したものが今のコムギの起源であろうと結論された。その後数年して 1955 年に木原博士を隊長として京都大学研究グループはカラコルム・ヒンズークシュ(イラン北部)に探検隊を派遣し、カスピ海南東のある村で栽培されていた二粒小麦の畑の中に雑草としてタルホコムギが混在しているのを確認され現在の小麦の起源がその辺りにあるのではないかと示唆された。実験室で研究した結果を踏まえて探検隊をだして解明すると言うなんとも素晴らしい生物学のやり方だろうと感動した。

 その後木原博士が栽培稲の祖先を探る探検隊を東南アジアに派遣する計画を立てておられるらしいと小耳に挟み、もし実現するなら先生の学生ではないが荷物持ちでもよいからどうにかして参加させてもらいたいと策を練っていたが、その計画は中止になったようで大変残念であった。

 私が大学受験に失敗し浪人していた時、突然父がある晩急に木原博士が自宅に来られると言い吃驚したが、木原博士を私が尊敬しているのを良く知っている父が「保之、木原均先生が来ておられるからご挨拶しなさい」と先生を応接間で紹介してくれ感激したのをよく覚えている。
 後で聞くと木原博士のご来宅の理由は「東大の篠遠教授(篠遠喜人博士・遺伝学者)が何を考えてか定年退職前に訳の判らぬ今度新しく創設される国際基督教大学と言う大学に移るらしいのでやめときなさいとたしなめに東京に出て来た、そのついでに平塚に会いに来た」と言う事であった。
 確か当時所長をしておられた国立遺伝学研究所があった静岡県の三島から出てこられたのだと思う。私はそのころキリスト教信仰に興味を持っていたこともあり、勉強したいと思っていた生物学の教授もおられる事がわかり、そのわけの判らぬ大学の一期生として入学する事になった。
 間接的ではあるが木原博士にその後の進路を決めていただいたと勝手に思っている。

■ News Letter No.36 (2011年9月26日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「昔いた研究室のハイキング」
 大阪へは 30 年前に来たが、子供の学校の都合などで、暫くは単身赴任と云う事になった。公務員の給料で二つの所帯を維持するのはかなり厳しく、東京の家族のところへ帰るのは月に1度が限度だった。
土日に帰るのだが、帰らない日曜日のため大阪近郊のハイキング・コースのガイドブックを購入し、その本に載っているコースを一つずつ歩くことにした。

 赴任先の研究室は以前から良くハイキングに行っていたらしいが、何時の頃からか、単身赴任時代の蓄積から、地元出身の学生より私の方が近畿一帯のハイキング・コースに詳しいと云うことになり、コースの相談を受けるようになった。その習慣は停年退職した後も続いており、辞めて14年にもなる今でも、春、秋、2回、昔いた研究室の若者から、コースについての相談のメールが来る。ほとんどの場合、私が推薦したコースに決まるので、一緒に行かざるを得ない。14年間、年2回、ほとんど欠かさず,昔いた研究室のハイキングに付き合っている。

 春は夏と云ったほうが良い7月下旬で、カタクリやフタリシズカなどのいわゆる春植物は花はおろか地上部全てが消え失せてしまっているが、それでも、伊吹だとイブキジャコウソウやクガイソウ、金剛山だとキツリフネやオカトラノオには会える。しかし、秋は11月に入ってからなので、コウヤボウキの花も終わり、ツルアリドウシやミヤマシキミの赤い実が僅かに彩りを添えてくれているだけの山である。

 この春、私の喜寿の会なる集まりがあったが、山だけの教え子(?)も大勢参加してくれた。単身赴任の時の財産は結構大きい。

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□所長・松原より  ~ ん?そうか、それで? No.20 ~

 前回柴岡さんが書かれたヤマボウシについて私も、と思いつつ時を逸してしまったので一号遅れですが書きます。

 ヤマボウシは日本遺伝学の大先達・木原均先生が愛された植物です。
木原先生は今の世界で人々が恩恵を受けているパンのもと、パン小麦の先祖を尋ねてカラコルム・ヒンズークシ地方まで探検して、その地に自生する「タルホ小麦」という貧弱な穂をつける植物が先祖だということを発見されたので有名です。この探検は1955年自ら組織した探検隊によって行われましたが、当時のみじめな研究環境や貧弱な探検装備のもとで成し遂げられたのは驚きと言わざるをえません。探検は珍種の発見でなく、小麦の系統に違う数の染色体をもったものがある、その原種を尋ねようというはっきりとした目的のもとに行われたところがすごい。
その結果小麦の染色体は7本が基本。それが交雑で色々な組み合わせのものになり、性質もそれにより違うというのです。そして、すべての生物にはそれぞれ決まった数の基本的染色体があり、時折それが増えたり減ったり、入り混じったりするのだという進化と遺伝学の交わる問題を明らかにされました。(小麦の場合に基本的染色体は7本)。
こういう目で生き物のゲノム(それが細胞分裂するときに目に見える染色体に凝縮する)を調べる中から「地球の歴史は地層に、生物の歴史は染色体に記されてある」という有名な言を吐かれるに至りました。

 ゲノムという語は欧米では遺伝子の総称という意味合いに使われてきたのですがここでは染色体の総体というニュアンスです。1980年終わり頃にゲノムを作り上げているDNAの塩基配列を全部読み取ってしまおうという国際的な動きが出て来たときに、日本の世話役となった私の頭には、木原先生のゲノム説があって、ゲノムという語を使うのに多少のためらいがあったのを思い出します。(今日は全く違和感なしに使われていますが)。

 さて、その木原先生は何事にも興味を持ち、自分を投入してしまうスケールの大きな方だったそうで、その一つがスキー。1960年代には全日本スキー連盟会長、2度の冬季オリンピック選手団団長や組織委員も勤められたというから半端ではありません。

 その木原先生がお気に入りだったのが初夏の山に風情ゆたかに咲くヤマボウシで、ご自宅に何株も育てられていたそうです。このあたりの雰囲気は柴岡さんの文に見事に表現されています。

 木原先生は京都大学をおやめになると同時に(財)木原生物学研究所を横浜に移し、引き続き生命研究の発展の為に若い研究者を育てられました。
のちに研究所は横浜市立大学に移管されましたが、昨2010年、所内の一角に先生の探検・研究・あらゆる活躍の跡の記録が、タルホ小麦原種の標本などと共に展示されています。私たちが袋小路に入りそうな時にはここで問題解決できる、というほどに気分が高められます。別に、投じられた私財が基となってできた木原記念横浜生命科学振興財団は先生のご遺志をついで今日も若くて優れた研究者を毎年顕彰しています。
今年の賞が贈られた5月の式場には木原先生の庭から愛娘ゆり子さんが届けられた幾種類ものヤマボウシが純白の花と形の良い緑の葉のコントラストで飾られていました。スケールの大きな木原先生に因む次のサイトを挙げておきます。

 横浜市立大学木原生物学研究所・木原記念室
 http://www.yokohama-cu.ac.jp/kihara/kinen/

 木原記念横浜生命科学振興財団
 http://www.kihara.or.jp

■ News Letter No.35 (2011年7月7日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「Florida」
 街のヤマボウシは盛りを過ぎてしまったが、山のヤマボウシは7月にならなければ咲かない。街で見るヤマボウシは賑やか過ぎて馴染めないが、山のヤマボウシは静かに咲いていてくれるので嬉しい。

 ヤマボウシと聞いて思い出す場所はいくつもあるが、一番好きなのは、比良の権現山に登る途中のアラキ峠のヤマボウシである。アラキ峠は、若狭から京へと鯖を運んだ道、鯖街道の途中の花折峠から約1時間のところにある。峠について振り返ると、ヤマボウシの花が目に入る。緑の中にたった一本で咲いているヤマボウシを、峠を越えて行く風に吹かれながら眺めるのは、欠かす事のできない年中行事の一つである。

 木が峠より少し下に生えているので、上を向いて咲く花がとても見やすいことも好きな理由の一つである。ヤマボウシの仲間で良く知られているのがハナミズキで、ワシントンに贈ったサクラのお礼に貰ったと云う話が有名である。

 学生の頃だったか、小石川植物園で、植物分類学の前川文夫先生から、ハナミズキの学名が Cornus florida だと云うことを教えて頂いた。よせば良いのにその時、「フロリダ原産なんですか。」とお聞きしたら、「素人はそれだから困るよ。」と不機嫌な顔をされた。その時はへまな質問をしなければ良かったと思ったが、ハナミズキの学名を今でも覚えているのは、へまな質問をしたお蔭なので、へまな質問も悪いものではないと思っている。

 Floridaには花一杯という意味がある。フロリダの地を見つけたスペイン人のPonce de Leonが花一杯のその土地をフロリダと呼ぶ事にしたそうであるが、ハナミズキも花一杯である。

■ News Letter No.34 (2011年6月9日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「南半球のアサガオ」
 お子さんと一緒にアサガオについての観察を続けておられるお母さんから、南半球のアサガオの種子の入手法について尋ねられたことがあります。アサガオの研究をなさっておられる先生にお聞きしましたが、答えは頂けませんでした。途方に暮れている時、国際基督教大学の風間晴子先生がオーストラリアのキャンベラに研究に行かれることを知り、風間先生に南半球のアサガオについて調べて下さるようお願いしました。風間先生はアサガオの自生地にまで出かけて下さり、色々な事を調べて下さいました。

 頂いた質問に関しては、オーストラリアではアサガオを植えて鑑賞する習慣がないので、種子は市販されておらず、種子が欲しければ、現地に採りに行くしかないと云うことを教えて下さいました。風間先生は、それ以外にも面白いことを沢山教えて下さいました。その一つは、オーストラリアのアサガオは夕方までしおれずに元気でいると云うことです。アサガオは、受粉の後、御用済みになった花びらから窒素を回収するため、咲く前に合成しリソソーム内に閉じ込めて置いた蛋白質分解酵素を受粉が済むと細胞内にまき散らし、蛋白質を分解し窒素を回収していますが、オーストラリアのアサガオでは窒素の回収はどうなっているのでしょう。とても気になりました。

 オーストラリアのアサガオも日本のアサガオと同じ右巻きだと云うことも教えて下さいました。前回、蔓の巻き方について、太陽の動きに従う巻き方、逆らう巻き方という表し方が好きだと書きましたが、南半球のことも考えると、この表し方はまずいようです。

■ News Letter No.33 (2011年5月13日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「右巻き、左巻き」
 子供の頃、アサガオの蔓は左巻きだと教わりました。「牧野富太郎植物記」にも、アサガオは左巻きだと書かれています。この本には、左巻きと右巻きの見分け方も書かれています。蔓の巻きついている支柱を、親指を立てて握った時、親指の方向に蔓が伸びていれば左巻き、右手で握った時に親指の方向に伸びていれば右巻きと、とても分かりやすい見分け方なので、私はその方法で見分けていました。

 ところが、木原 均先生が先頭に立って、牧野先生時代の左巻き、右巻きはおかしいと言い出し、左、右が逆に、すなわちアサガオは右巻きになってしまいました。現在の見分け方は、下から見たときに、蔓が時計方向に旋回しながら伸びている場合が右巻き、反時計方向に旋回しながら伸びている場合が左巻きということになっています。
この見分け方はややこしく分かりにくいので、私はいまだに牧野先生の方法で右、左を判断し、右の場合は左、左の場合は右だと思うようにしています。巻いている蔓の形からの、Z巻き、S巻きは分かりやすいと思いますが、あまり普及していないようです。

 C. ダーウィンはつる植物に大層興味を持ち、「よじのぼり植物」(渡辺 仁訳・森北出版)という本を書いていますが、この中で、つるの巻き方を、太陽の動きに従う巻き方、太陽の動きに逆らう巻き方と区別しています。とても分かりやすいので、私はこの区別の仕方が好きです。蔓が巻く機構についてはほとんど分かっていませんが、重力に対する感受性を欠くアサガオの蔓が巻きつかないところから、蔓が巻きつくことに重力感知が関わっていると考えられています。

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□所長・松原より  ~ ん?そうか、それで? 号外 ~

今回の大震災・大津波・原発事故は筆舌に尽くしがたい苦難をもたらしました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。また、大勢の方々が未だに行方不明なのは大きな悲しみです。 遺族の方々、被災者の方々に何かしたいと願う心は日本中で共有されています。

あれから2カ月。大きな傷口があいたままでも花が咲き、暖かさが増すとともに人の心も少しずつ動いているように感じられますが、たとえ長い期間にわたってもみんなのためになることを協力してやってゆきたいという気持は変わっていません。私たちはこの心を大切に、できるかぎりのことをしてゆきたいと思っています。

東北地方の研究施設も地盤沈下や建物の損壊がひどく、研究に日々欠かせない多くの設備から最先端の研究機器までが大きな損害を受けました。保存資料や動物の系統などに至っては何十年分もの蓄積が一挙に失われたという報も聞こえてきます。

私たちにできることは限られていますが、みんなで苦労を乗り越える強い気持ちを持続しよう、それと共に、防ぐことのできる損害には早速、身の回りから手を打つことにしよう、この辺りから始めようと考えています。

■ News Letter No.32 (2011年2月25日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「みんなのひろば」
 以前にも触れたことがありますが、一般の方からの植物についての質問に答えを用意するということをやっています。具体的には日本植物生理学会のホームページ (http://www.jspp.org/) 上に設けられた“みんなのひろば”の質問コーナーに寄せられた質問に答えを用意するのです。

 質問は学会の広報委員長が受け取ります。回答を用意する役目を仰せつかっている者は5名いるのですが、委員長は質問をその5名に割り振ります。割り振られた質問が自分で答えられる場合には、自分で答えるのですが、答えられない場合が多く、そんな時には、答えて貰えそうな方を探して回答をお願いします。山で出会った方から、現場で植物についての質問を頂く事があります。答えられる場合には喜んでお答えするのですが、手に負えない場合もあります。そんな時には、みんなのひろばの質問コーナーのことを紹介します。

 昨年の秋、熊野古道の中辺路の福定の大銀杏を尋ねた時のことですが、一緒に行った植物好きから、銀杏の枝の付け根からぶら下がっているものは何かと聞かれました。答えられなかったので、質問コーナーへのアクセスの方法をお教えしましたら、質問して下さいました。その質問は私に割り振られて来ましたが、勿論、私には答えられなかったので、東京大学の塚谷裕一さんに回答をお願いしました。塚谷さんは、それが乳(英語でも chichi)と呼ばれているもので、担根体というイチョウのような古い時代の植物の性質を残している植物にだけしかないものらしいことを教えて下さいました。

 質問を貰う度に、物知りになりますので、このコーナーの宣伝をしながら山を歩いています。

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□所長・松原より~ ん?そうか、それで? No.19 ~

 インフルエンザで沢山のにわとりが殺されてしまいました。すこし前には沢山の牛が殺処分されました。哀れなことです。アフリカでほんの少し前に誕生した人類の子孫がこんな形でしかやって行けない社会を作ってしまっている事は、生命の研究者として見るとあまりにも不自然だと思わざるを得ません。
 RNAウイルスに対する抵抗性遺伝子はトリにも哺乳類にもあります。
 人類もペストに代表されるものすごい集団感染の洗礼を受けました。解析は不十分ですが免疫関連の複雑な遺伝子群(例えばMHC)の上にこれを切り抜けた記録が残っているのではないでしょうか。こういうところにゲノムの知恵が活かせるようにならないものかと考え込んでしまいます。

■ News Letter No.31 (2010年12月6日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「コンニチハ」
 山での挨拶は「コンニチハ」です。私のほうから声をかけますが、8割くらいの人から「コンニチハ」が返ってきます。返してくれない人もいます。
山のベテランと思っているような顔付きの人で、「なんでこのオレが、シロウトのお前に挨拶を返さなくてはならないんだ。」と云うようにジロリとこちらを見ます。ちょっと落ち込みますが、気を取り直して「コンニチハ」を続けます。とても楽しい「コンニチハ」に出会えることがあるからです。
おじいさんと一緒に歩いていた5歳くらいの男の子に出会い「コンニチハ」と声をかけました。その子は知らない人から「コンニチハ」と云われたのは初めてだったらしく、どうしたら良いのか分からなくなり、私の腰のあたりに抱きついてきてしまいました。
お母さんやお兄さんたち二人と一緒の4歳くらいの女の子に出会った時のことです。私は下りで、女の子たちは登りでした。まずお母さんと下のお兄さんとすれ違い「コンニチハ」。お母さんと下のお兄さんも「コンニチハ」。女の子は、上り坂なので一番うしろ。その少し前に,妹を気にしながらの上のお兄さん。まず上のお兄さんに「コンニチハ」。上のお兄さんは、かなり丁寧に「コンニチハ」。最後に、よっこら、よっこらと登って来た女の子に「コンニチハ」。女の子は立ち止まりました。そうして両足を揃え、腰を曲げ、重ねた両手を膝に当て、深々と頭を下げ「コンニチハ」。私は慌てて、もう一度「コンニチハ」。そのコースは大好きなコースなので、年に10回以上は通るのですが、通る度に、可愛い「コンニチハ」を思い出しています。

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□所長・松原より~ ん?そうか、それで? 号外 ~

ヒ素生物
リンの代わりにヒ素を使うとてつもない生き物の発見が発表されたのはついこのあいだ。
「ア、ソウ」だけですぐ為替と株かカン問題に戻ってしまう人に比べたら私たちはヒ素とリンの関係からこの発見のすごさを思い、DNA生命体はどうなるのだろうと次に起こることを思い、さらに、生命そのものの不思議やそこに内包されている厳粛さに改めて思いを馳せてしまいます。 こうして私たちはとても大きな幸せと不幸を抱えた生き物なのだ…などと思ってしまいます。

■ News Letter No.29 (2010年8月27日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「青春きっぷ18」
在職中のことですが、忘年会のためにと金沢まで日帰りでブリを買いに行った院生がいました。彼女はキャリーバックにブリ一本を乗せ、市内観光もしたらしいのですが、ブリは忘年会に間に合いました。刺身にしたり、焼いたり、全員で新鮮な日本海のブリを楽しんだのですが、その時初めて「青春18きっぷ」なるものの存在を知りました。その時は、この割引きっぷは、若者だけのものに違いないと思っていたのですが、定年後、これが青い春の若者だけでなく、黄色い秋の老人にも使えることを知りました。2,300円でJR一日乗り放題のこの切符を利用しない手はありません。春と夏の18きっぷシーズンには必ず利用するようになりました。春、この切符を使ってまず行くのは伊吹山です。最初は頂上まで登ったのですが、3合目より上には、雪しかないことを知ったので、翌年からは、3合目までのハイキングにしました。3合目までのお目当ては、雪割草ことスハマソウ、それにセツブンソウです。夏の18きっぷは7月10日から使えるようになるのですが、20日頃、高校2年の時に八ヶ岳で初めて出会ったイブキジャコウソウが本場の伊吹山の7.5合目あたりで花盛りになるので、頂上目指して登ります。8月初旬、山頂付近はシモツケソウの花でピンクに染まります。これも見なければなりません。夏の18きっぷは9月10日まで使えますが、9月に入ると、サラシナショウマの花で山は白色に変わります。ピンクの山では目立たなかった、ワレモコウの控えめな紅が目立つようになります。18きっぷが使えなくなる前に、今年もまたもう一度、行かなければなりません。

■ News Letter No.28 (2010年7月9日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「ヒマワリ」
 中学3年生の頃だった思いますが、生物部の仲間とヒマワリは廻るかどうかについて、話し合ったことがありました。結局、分からなかったので、顧問の川崎庸三先生に「ヒマワリは廻るんでしょうか、廻らないんでしょうか。」と尋ねました。先生の答えは、私たちが全く予想していなかったものでした。
「ボクは廻ると思っているんだが、どうだキミ一つ見てみんか。」が答えでした。
ビックリしました。それまで、知識を得るには、本を読むか先生に聞くかしかないと思っており、自分で見て本に書いてあるような偉い知識が得られるなんて思っても見なかったからです。早速、ヒマワリを見ることにしました。
花は廻らないこと、花が咲くまでは茎のテッペンは、朝東、昼真上、夕方西を向くことが分かりました。そのうち、若いヒマワリは晴れた日は良く動くが、雨や曇りの日はあまり動かないのに、大きくなったヒマワリは晴れても曇っても雨でも、ほとんど同じように動くことに気が付きました。毎日運動を繰り返しているうち運動がクセになり、太陽が出ない日にも廻るのではないかと考え、大きな植木鉢にヒマワリを植え、大きく育ててから、鉢を水平に180度まわしてみました。ヒマワリは数日間、西から東への運動を繰り返し、運動がクセになっていることが分かりました。こんなことが嬉しくて、大学、大学院とヒマワリとつき合ってしまいました。この数年、一般の方からの植物に関する質問に答える仕事をしていますが、小学生からの質問で、見れば分かるような場合、川崎先生の真似をして、「自分で見てご覧。」などと返事をしたりしています。

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□所長・松原より~ ん?そうか、それで? No.18 ~

前回は堅い話をしましたが…

空港にあった広告  Impossible? I’m possible うまい!
蕎麦屋で  ぼくはタヌキだ、私はキツネ
ある代議士が日米交渉でアメリカに行った時 
We eat rice. America is rice country. We like America!

テンポの良さ、にやっとする駄洒落。駄洒落はウイットに敵わないとされていますがこんな会話が違う国の人々の間で普通に通用したら…。
ワールドカップでは全く違う国、違うことばの人々が感覚を完全に共有してそれをからだで表現しています。人類進化の間に失ってしまったコミュニケーションも根底に共通のものが生きている筈。それを活用して語学学習ではなくフィーリングを共有する方法論はないものかなあなどとふと思うこの頃です。

堅い話に戻って…。 この頃は口を開けば「出口」ですね。この際、次の二冊をお奨めします。

 「新興衰退国ニッポン」金子勝、児玉龍彦 講談社
 「ガラパゴス化する日本の製造業」 宮崎智彦 東洋経済

■ News Letter No.27 (2010年6月3日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「カタクリ」
 4月下旬から5月初めの山歩きで、どうしても会いたいのはカタクリです。
東京の杉並に住んでいた高校時代、カタクリは身近な植物でした。 自転車で訪れることの出来る深大寺近くの谷に群生していたからです。 カタクリの鱗茎(タマ)は地表から約30センチ下にあり、地上部とタマを つないでいる茎は細くて柔らかいので、タマ付きのカタクリの花を得る のは至難の業でした。高校の生物部時代、近郊の植物を高校の仲間 たちに展示して、生物部の存在を誇示しようと云うことを心掛けていま したので、ある年に採集して来たタマつきカタクリを植木鉢に植え、翌年 花が咲いたら、鉢植えのカタクリを展示しようと一年間自宅で栽培しま した。翌年、見事に花を咲かせたので、鉢毎、学校に持って行こうとしま したら、カタクリの地下部の茎は植木鉢の下の孔を抜け大地に深く潜り 込んでおり、鉢植えのカタクリを展示する試みは見事に失敗しました。 カタクリのタマが植木鉢の中に留まっておらず、ある深さの位置まで 潜って行くことを初めて知ったのですが、やはりショックでした。一般に 球根と呼ばれている鱗茎や球茎が地面の下のある位置まで潜ることは、 ヒアシンス(鱗茎)とかグラジオラス(球茎)などでも知られています。 ヒアシンスもグラジオラスも新しいタマは古いタマより地表に近い位置に 作られます。これを繰り返していると、ヒアシンスやグラジオラスのタマは 地表に出て来てしまいます。ヒアシンスでもグラジオラスでも根が縮んで、 新しく出来たタマを地中に引きずり込んでいるのです。タマが地表近くに いるか、地中深くにいるかを感知しているのは、昼夜の温度差で、 温度差が大きいと地表近くにいると判断しタマは潜りますが、温度差が 小さいと潜りません。

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□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.17 ~

 政策漂流といわれています。沖縄を頂点として、郵政、道路、膨大な赤字…とつぎつぎに攻め立てれば一体政府はどうするつもりなのだと大合唱が起きるのはやむをえないのでしょう。大衆紙の吊広告にはこれが日本人の吐くことばかしらと信じられないような総理攻撃の下品な言葉が躍っています(漂流は困るけれど、水に落ちた犬は叩けというゲス根性がいつの間に日本の社会に侵入してきたのでしょう。) 殆どの日本人はこの国に良かれという気持ちでやって来たし、やってゆく人々なのではないでしょうか。今の日本に本当に必要なのは長期ビジョン作りであり、それこそがみんな、心から望んでいるものの筈です。それなのに・・・。

 漂流している人々に長期ビジョンは出てこないだろう。尻馬に乗って野次るだけの輩にもビジョンは期待できない。 私はライフサイエンス関係なので長期ビジョンもその範囲です。しかし、日進月歩の医療進化をどう見通して15年後にどういう医療のできる国にするのか、この国のアキレス腱である要介護人口の急増にはどう対処するのか、食糧の自給にはどういう政策で取り組んで行くのか等々、そう他人ごとでは済まされない気持ちです。

 アクションプランやマスタープランが総合科学技術会議や学術会議で考えられています。けれども、殆どは今の政策に関連した視野で考えられているようです。もっと永く、せめて15年先のこの国の姿を描いたマスタープランが今、必要なのではないでしょうか。これは一握りの人々が数カ月で考え出せることではありません。賢くて情熱をもつ多くの人々が調査と洞察と議論を積み重ねて作業する時間のかかる仕事です。そして皆のコンセンサスを得ること。これは今日の日本の「科学技術政策」からはみ出しています。こういうことを別の機会にもっと考えてみたいと思います。

■ News Letter No.25 (2009年12月1日 配信)

□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.16 ~

事業仕分けという新政権のショーウインドウの内容が連日放映されて関心を呼んでいます。ふだんはあまりテレビを見ない私もこれは興味を持って見ます(実はもっと詳しく見たい)。そうすると財務省にガン(眼)をつけられた事業とはいえ、その攻防にはなるほどと思わせるものから、お役人はこんなことに知恵を絞って税金の蛇口を開けていたのかというのまでいろいろありますね。何よりもこのプロセスがガラス張りであるところがよろしい。

この数日、科学技術が俎板にのっています。これは近い分野なのでよく理解できる。 毛利さんが科学未来館の評価に「それは違う」と反論するのは分かるが、運営には意味の分かりにくい大きな団体が付いていることを指摘されてしまいました(なるほど)。スパコンでは「何故世界一でなければならないのですか、世界二番目ではいけないのですか」という驚くべき言葉を委員長自ら吐いて、「科学」の評価と「日本の産業は世界第二位で十分やって来たではないか」という産業技術の評価とごっちゃにしてしまうという失態もあらわになりました。
科学から遠いところに暮らす人が科学の意味をどう理解しているのか・・・。このところ永らく理科離れが言われながら放置して来たツケがこんなところに出てしまったのか。そもそも国の未来のためには「科学技術」が重要政策なのではなく「科学」と「技術」がともに重要なのだということをきちんと浸透させてこなかったところに問題ありです。

仕分けは当面の予算不足対応の作業で我慢しなければならぬことも多い筈ですが、仕分け人は国の未来について見識を持った人々であると期待されています。私の関わった範囲では未来への見識は教育・科学・技術そして英知への恐れから発するものだと思います(この他にもあるかもしれません・・・)。そこさえ押さえてあれば、お金が足りないのだから今は・・・という話もアリでしょう。ワイズメンが正しい良い国つくりに心血を注いでいるのだと納得できることが必要です。仕分け人は万能の神ではないから誤り、理解できないことも多いでしょう。その時に「良く分からない課題にはとにかく減額と採点する仕分け人が居る」と見られてしまっては台無しです。厳しい評価を受ける側も「おれたちのダムを、空港をどうするつもりか」とおめき喚くだけでは変化に対応できないでしょう(必死なことは理解できるのですが)。アカデミアに限って言えば、攻防両者の争点をこのような気持ちで見るとき、日本の教育と科学を・・・と唱えて大勢の大学長を動員し、科学を・・・と言ってノーベル賞学者に大集合をかけるやり方は仕分け人を信用せず、対決姿勢に傾きすぎているようにも思えます。
勿論問題によってはここ一番が勝負というのもあるでしょう。反面、国の真に大切な未来に関わる重大問題は仕分けの一発勝負とは別にワイズメンによって十分に議論し必要に応じて綿密な調査も加えて納得のゆく、そして皆がそれなら安心、それなら我慢もしようという理想作りの情熱を枯渇させないように、と願うものです。教育・科学・技術・叡智はこうして論じられるべき対象だと思うのです。これは国民の幸福にかかわる健康・安心・安全・食・産業等の問題とは次元を異にする英知を集めるべきことなのではないでしょうか。
こんなことを改めて考えさせられたのは私一人だけなのでしょうか。何かしなければならない。然しこのやり方だけではない・・・。

目を外に向けるとダーウインの150年記念行事が感謝と畏敬の念をこめて行われています。

■ News Letter No.23 (2009年9月15日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「ミズヒキ」
 ああもう夏も終わりだと思わせる花と、ああもう秋なんだと感じさせる花とがある。同じように思われるかも知れないが、私の中ではまるで違うものである。 前者はタケニグサ、後者はミズヒキである。若い頃、高校野球が始まったばかりの頃に登りだし、都市対抗野球が終わる頃に下山するというような山歩きをして いたことがあったが、そんな山歩きで、登り始めには気が付かなかったタケニグサが、下山する頃になると、やけに目に付き、ああもう夏も終わりなんだと思わ された事を思い出す。ミズヒキが咲き始めるのはタケニグサに夏の終わりを知らされるよりも早い8月はじめであるが、どういう訳かミズヒキの花を見て、夏の 終わりと思うことはなく、もう秋がそこまできているのかと思う。40年以上も昔のことであるが、私が助手として勤務していた小石川植物園で、一般公開90 周年の記念行事が行われた。その時の記念品の入っている箱の蓋に、ミズヒキの花の絵の描かれているのを見て、さすが我が小石川植物園、やるなあと思った ことがあり、それ以来、ミズヒキは特別な花になっている。ミズヒキの小さな花は細長い花軸に点々とついている。目の高さから見下ろすと赤い点々のつながりで あるが、地面の位置から見上げると白い点々のつながりになっており、それがミズヒキの名前の由来らしい。色といい、形といい、秋のイメージぴったりの花で ある。8月はじめから咲き始めるが、9月いっぱいどころか10月に入っても咲いているので、是非とも見上げる角度でミズヒキの白い点々のつながりを見てほしい。

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□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.15 ~

 うちのボスにもう一つ論文を書きなさいといわれているんです。この間書いたのとは少し違うことで、やりかけの仕事があったのです。でも僕はもっと インパクトファクターの大きな雑誌に載るような仕事に参加したい。

どんなことをやっていたの?

えーと、これこれの組織でこれこれの培養をしてDNAチップでRNAを測ったらこれこれのデータが出た、というようなことです。先生はそれに高速シークエンサーの データをつけられたらな、というようなことを言うのですけど。

それじゃ良く分からないな。今度30分ほどゆっくりプレゼンしてください。
インパクトファクターよりも、その仕事は教科書のどの章のどこにつながっていくのか。---- 本当は科学の流れのどこに位置づけられ、どういう成果と意義が期待 される中でこうなっているのかを聞きたいのだけど。--- プレゼンのちゃんとできる人には必ず良いことがあるよ。

また宿題ですね。
でも、そんなこと、総説を調べたり考えたりするのたいへんだなあ。

論文をなかなか書かない人や、やりかけた仕事を腐らせてしまう人にはこの道は向かないよ。

そういえば先生、まえにそんなことどこかで言っていましたね。じゃあ、先ずプレゼン。

■ News Letter No.22 (2009年7月27日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「マタタビ」
山を登る時は、下を向いて歩いているので、頭上に花が咲いていることは、落ちている花びらで気付くことが多い。落ちている花びらで気付いた時は、 おおむね花時期の終わりに近いので、もはや花の香りを嗅ぐことは出来ない。ぼんやり歩いているだけで、花が咲いていることが香りで分かる ツツジの仲間のネジキのような場合もあるが、エゴノキやリョウブの場合、香りがするのは花が咲いたばかりのごく限られた期間なのと、あまり強い 香りではないことで、ぼんやり歩いていたのでは香りを嗅ぐことは出来ない。
登りの途中でエゴノキやリョウブの花が落ちているのに気が付いたら、暫くの間、香りを気にしながら登る必要がある。登るにつれて、花時期は遅くなる ので、やがて香りのする花に会うことができる。逆に、下っている時に落ちている花を見つけたら、後戻りして登る必要がある。マタタビは花が咲く時期 になると葉の表面が白くなるので、花の咲いているマタタビを見つけるのは容易であるが、花が終わった後でもしばらくは、葉は白いままなので、白く 変わったばかりの時期に訪れなくてはならない。マタタビの花の香りは、かなり強いので、葉が白くなったばかりの時期なら、目をつぶっていても そばに花があることは分かる。多分、受粉を助けている虫達も葉の色が変わったことで花が咲き出したことを知り、近づいてからは香りに誘われ、 蜜に辿り着くのだろう。葉が白く見えるようになるのは、葉の中に空気を含んだ隙間が出来るからで、葉を水の中に浸してて指で押し、空気を押し 出してやると、白く見えている葉は緑色にもどる。

「香り草コーナー」
最初に就職したのは小石川の植物園です。少し勤めた後、カリフォルニアに勉強に行かせて貰うことになりました。植物園のお許しで、行かせて貰った のだから、少しは植物園のお役に立とうと、毎週、キャンパスの植物のこととか、近所の植物園、州立公園、花卉の栽培農家などのことについての 報告書のようなものを植物園に送っていました。

サンフランシスコの植物園にも、報告書用の話題探しの目的で訪れました。園内をひと回りした後、折角だから、報告書はここの植物園の絵葉書で送ろ うと立ち寄った売店で、日本の植物園から来たということを喋ってしまいました。それを聞いた売店のおばさんは「日本の植物園から来た人には 是非とも見てもらわなければならない場所がある。」と売店を閉めて園内を案内して下さいました。案内して下さった場所のほとんどは案内して頂く 前に見学した場所でしたが、案内人つきということで、再びしっかりと見学しました。

そんな場所の中に、今でも心に残っている場所があります。腰の高さに石垣が積まれ、その高さに香りの良い植物が植えられており、点字で書かれ た説明が添えられているコーナーです。目の不自由な人が、植物に触り、香りを楽しみ、点字の説明を読みながら、石垣伝いにコーナーの入口から 出口まで進むことのできるコーナーでした。

その週の植物園への報告書はこのコーナーについてのもので、コーナーの造りなどできるだけ詳しく説明しましたが、そのコーナーを見た時の驚きと、 そのコーナーの植物の香りとは、どうしても伝えることが出来ませんでした。

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□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.14 ~

-この間の論文どうなった?
-とおりました。 今度学位審査会に回してもらえるそうです。

-そうか。それはしゅうちゃく。
-先生、時代劇の観すぎと違いますか? だけどこれを投稿論文にしても NatureやScience, Cell などには無理だそうです。

-それは仕方が無い。 今の生命科学の業界ではロジックやクオリティー とは別に「興味を惹くかどうか」という目でものを見るトレンドもあるのだからね。
若い人が一人で書き上げた論文がそういうところに出てくるチャンスは殆ど無い。でも、10年ほど経って少し落ち着いてから教科書に載るのはどんな仕事なのか。 教科書の一つの章の基になったり、その技術のおかげで全く新しいことが見えるようになったりするのはどうか。教科書は覚える道具として使うだけでなくそういう 目でみると面白いよ。
-先生、そんなことしてたら今の流れについてゆけませんよ。

-それもそうだ。だけど僕は、トレンドに群がるばかりがサイエンスじゃない、ましてトレンドばかりに大きなお金をつければ科学の推進になるという流行にクールなのさ。
ところで、このあいだのクイズはどうだった?
-調べてみました。でも、どうして黒船騒ぎのちょっとまえにこんな人たちが?という時代背景は・・・。

-ついでといってはなんだが、それではノーベル賞の70年代後半くらいから君に関係ありそうなものを探してごらん。医学生理学と化学とあるから。
特に現代の僕らの生命科学に貢献した技術に限ってごらん。 制限酵素とかNMRとか、シークエンシング、DNA組換え、PCR、蛍光物質などが並んでいるよ。
-先生、でも、ノーベル賞には技術よりもコンセプトとか発見のほうが多いのではないですか?

-それはそう。技術は一人かせいぜい少しばかりの人がトレンドとは関係なしに築き上げるからさ。

■ News Letter No.21 (2009年6月25日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「タマネギとフロリゲン」
タマネギのタマは日が長くなると膨らみますが、ジャガイモのイモは日が短くなると膨らみます。植物は日の長さ(日長)の変化を感じて発育 を制御していますが、日長に依存して起きる現象の中で、誰もが知っているのは花芽の形成でしょう。多くの植物が季節を間違えずに花を咲か すのは、花芽の形成が日長によって制御されているからです。日長を感じるのは葉で、花芽を作るのは芽なので、葉から芽になんらかのシグ ナルが送られているに違い無いと考えられ、そのシグナルの担い手にフロリゲンと云う名が与えられ、その実体を明らかにしようと云う研究が 続けられて来ましたが、ごく最近までそのような研究は実を結びませんでした。ところが最近になって、花芽形成に働いている遺伝子の研究から、 フロリゲンの実体が明らかにされました。花芽形成には幾つかの遺伝子が働いていますが、そのうちの一つのFT遺伝子が葉で発現しており、その 産物のFTタンパク質が芽に運ばれていることが明らかにされたのです。フロリゲンの実体はFTタンパク質だったのです。ジャガイモの場合も 日長を感じるのは葉で、イモは土の中にある芽が膨らんでできますので、やはりこの場合も葉から土の中の芽にシグナルが送られていると考え られてきましたが、これもFTタンパク質であることが突き止められました。タマネギではまだ調べられていませんが、日長を感じる葉身からタマに なる葉鞘基部へのシグナル伝達にFTタンパク質が働いている可能性は非常に高いと思います。

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□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.13 ~

君、ちょっと
え、なんですか?
このクイズとに答えられるかい?
あのー、今ちょっといそがしいんです。
なんだい、それ。
あのー僕の書いた論文を担当の先生に見て貰っているんですけれど、
ずーっとロジックや背景説明やどうして此処の説明が無いんだとか、
アカを入れては返してこられて今日その12回目のデスマッチなんです。
そうか。それは大変だ。でも、とにかく一寸みてごらん。
えーと次のひとびとを古い順番に並べなさい。
  ワトソン
  メンデル
  パスツール
  リンネ
  ダーウイン
  それから、黒船来航はどこに入るか
先生。今日はダメです。今度調べてきます。
そうだね。ついでにその人々が活躍した時代背景とその頃にどうしてこういう仕事が生まれたのか、君の時代背景はどうなのか、考えてごらん。

■ 号外 (2009年4月17日 掲載)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

*ニュースレター配信後となりましたが、柴岡先生からお寄せ頂いた
*季節感溢れるサイエンスエッセーです。

「落ち葉」
師走の山歩きの楽しみの一つは落ち葉を踏むことである。風の強かった日の翌日、落ちたばかりの枯葉を踏むのは本当に贅沢なことだと思う。 常日頃、林床の植物の花を見ようと下ばかり見て歩いているので、周りにどんな樹が生えているのか気付かないことが多いが、落ち葉を踏む ことで厭でも気付かされる。良く目につくのは五枚に分かれた葉のコシアブラ、三枚のタカノツメなどだが、イタヤカエデなども目にとまる。 ダンコウバイの落ち葉を見つけて、「来年の花時には是非とも来なくちゃ」などと思ったりもする。落ち葉は殆ど茶色か黄色だが、緑色のまま の落ち葉もある。ヤシャブシなどのニレの仲間の落ち葉である。普通の樹では光合成がまだ可能な時期に葉のタンパク質の分解を始め、分解で 生じた窒素化合物を枝や幹に回収し、その後で葉を落すが、ヤシャブシなどでは、光合成が可能な期間中ずうっと光合成を続けているので、寒 波が来ると窒素を回収する暇が無く、緑のままで葉を落す羽目になる。ヤシャブシなどが窒素固定細菌と共生しており、窒素固定ができること がその原因らしいが、窒素固定ができるからと云っても、ただでは出来ない。エネルギーが必要である。わざわざエネルギーを使ってまで窒素 固定をしなくても、普通の樹のように葉の窒素を回収すれば良いのにと思うが、ぎりぎりまで光合成をすることによる収入は大きく、窒素固定 のための支出を差し引いても充分儲けが残るそうである。ヤシャブシどもはどこでそんな計算をして、光合成をし続ける戦略をとることにしたのだろう。(2008.12.18)

「タマネギ」
今の時期のタマネギ畑のタマネギを見たことがなかったら、是非、見て欲しいのですが、どなたかタマネギをご存知の方と一緒に行って見て下さい。 今の時期のタマネギは普通のネギと同じような形をしているので、いままで見たことのない人が、一人で行ったのではタマネギかネギか区別が つかないからです。タマは日が短い冬の間は膨らまず、春になって日が長くなると膨らむのですが、膨らむことに細胞数の増加は含まれておらず、 もっぱら細胞の肥大によって膨らみます。冬の間、縦方向に伸びていた細胞が、春になると、横方向に太り出すことによってタマは形成されます。 植物の細胞は細胞壁で囲まれており、中に大きな液胞を持っています。細胞が大きくなるのは、液胞の中に水が入り、細胞壁を押し広げるからで、 風船に空気を吹き込んで大きくするのに似ています。風船が丸く膨らむか細長く膨らむかが風船そのものの性質によって決められているように、 植物の細胞が長く伸びるか丸く膨らむかは細胞壁の性質により決められています。冬の間、タマになる部分の細胞では、新しく合成され細胞壁に 付け加えられるセルロースを横向きに並べる仕組みが働いており、細胞が太るのを防いでいますが、春になるとセルロースを横向きに並べる仕組 みが消失してしまうので、セルロースの並び方がデタラメになり、細胞の太るのを防ぐことが出来なくなってしまいます。タマが膨らむのはタマ ネギが肥満防止の努力を放棄したからなのです。(2009.1.21)

■ News Letter No.18 (2008年12月5日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「御酒(うさき)」
 数年前から、娘たちに誘われ、娘たちの家族と一緒に沖縄に遊びに行っている。空や海がきれいなこと、食べ物が私に合っていることなど、沖縄で気に入っていることは数々あるが、私にとっての楽しみはやっぱり泡盛である。最初の年、那覇の民芸品店で湯呑みを買ったら、おまけに泡盛の小壜を呉れた。とても良い香りだったのだが銘柄をメモしておくのを忘たので、今年も同じ店に行き、一昨年貰った泡盛の銘柄を尋ねた。
どうやらそのお店では銘柄を決めている訳では無く、適当に買っておいたものを配っていたらしく、一昨年感激した泡盛の銘柄を知ることは出来なかった。その代わりに、銘柄はどうでも30度以上の物ならどれも美味しいので、スーパーで買いなさいと教えて呉れた。スーパーで買ったものをおまけとして配っていたらしい。そこでスーパーに行き、ホテルで飲むための泡盛を買った。御酒はその泡盛の名前で、確かに旨かった。飲みながら説明書を読んだら、沖縄の黒こうじ菌が戦争で全滅したこと、東大の坂口謹一郎先生が戦前に採取し保存していた株から昔ながらの香りの泡盛を作ることが出来たことなどが書かれており、坂口先生が菌種の保存というか有用な遺伝子の保存に大きな業績を残しておられたことを知ることができた。そんないわれのある泡盛ならと蔵元を訪れたら、そこでも坂口先生の偉大さについての講議を承ることになった。
大いに勉強出来たと思って帰宅したら、東京大学コミュニケーションセンターから、その顛末を書いたリーフレットが送られて来ていた。
御酒は東大で売っているそうである。

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□特別寄稿 JT生命誌研究館館長 中村桂子先生

今日、ケンブリッジ大学のProf.Akamが10年ぶりに研究館を訪れて下さいました。彼は節足動物での形態の多様性を発生の調節遺伝子である“Hox”familyのはたらきを通して調べている人です。研究館では、昆虫の研究、更にはクモを用いて節足動物と脊椎動物の共通祖先を知る研究をしているので関心を持って下さっています。実はAkam教授の所属は、University Museum of Zoology Cambridge なのです。研究館はミュージアムではありませんが、モデル生物にこだわらず、さまざまな生物を対象に研究していること、論文で終らずに誰もが楽しめる形の表現を試みていることという活動も面白がって下さっています。最近日本でも科学と社会とか、科学コミュニケーションなどという言葉がよく使われますが、そういうとってつけたような話ではなく、University Museum of Zoology はケンブリッジ大学の一部門としてあり続けてきたわけです。そのAkamさんが英国でも一般の人に進化論をどう理解してもらうかが悩みだと話して下さいました。米国での問題はよく聞かされてきました。とにかくインテリと呼ばれる人の半数が進化論を信じないという国ですから。
でもダーウィンの祖国でも未だに進化論は論争の中にあるわけで、日本は、進化研究のユートピアだと改めて思いました。ところで、“生命誌”は発生と進化を基本に置いて生きものの歴史物語を読み解きたいと思っていますが、最近発見されたサカナとワニのちょうど間にあるとしか思えない動物(ティクターリク)の化石は何を意味しているのだろうと思っていますこれまでは当然のように
\― ハ虫類
   \ 
    \― 魚類
      \
  脊椎動物の原型
という図を描いてきましたが、ウロコとヒレがあって魚みたいなのに、ワニの顔でヒレの中に腕の骨がある生きものはどこにいるのでしょう。
新しい発見はいつも謎を生むものです。

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□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.12 ~

勝木元也さんは私の古い友人ですが彼が岡崎の基礎生物学研究所で行った演説(科学者は普通演説しないので挨拶と言うべきか)は忘れがたいものだったのでどうしても紹介したいと思って来ました。

「その昔、八條宮智仁親王が桂離宮の造営を企画され、秀吉の財政的援助の下、いよいよ取り掛かるにあたって京の名匠達を集めて三つの約束事を伝えられたという。
その1 労賃をおしむ無かれ
その2 成功を急ぐ無かれ
その3 完成まで来たり観ることなかれ
こうして出来上がった桂離宮は日本建築美の代表としてブルーノタウトをして涙が出るほど美しいと語らせたと言う。」

作る人がハイレベルで信頼でき、作らせる人がそれを信じて任せる…人間の至高と至福の実現ですね。こういう美しい例が科学や学問の場に、つまり私たちの見えるところに、一例でも二例でも現れたらどんなに元気が出ることでしょう。

私たちは学問研究の場に身を置いています。それが社会や生活者の富に直接貢献できるものを生み出すことを期待する声が大きいこの頃です。インパクトファクターも競争的資金も皆この声に押しまくられていますね。しかし、学問研究の中には(自己満足ではなく)実はそれが有るというだけで、桂離宮のように、或いは宝石のように、人々の心を豊かにするものもある…至高と至福の中からそれが生まれてくる…そういう気がしています。

■ News Letter No.17 (2008年11月10日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「お祭り」
 熊野古道の中辺路に湯川王子という小さなお社がある。熊野古道が世界遺産に登録されたことで賑わうようになった場所もあるが、このお社の周辺は以前と同じで、気味が悪い位、ひっそりと静まり返っている。ところが何年前だかの秋、人の声が聞こえるような気がして、不審に思いながら近づくと、お年寄りから学校に上がる前の子供まで色々な年齢層の人たちがお社に群がっていた。通り過ぎようとしたら呼び止められ、お祭りなので飲んで行けと誘われた。目的地まで昼食の時間を含めると5時間はかかるので、一旦はご辞退申し上げたが、お祭なのだからと再度誘われ、私も嫌いな方ではなく、またコミュニティ?こぞってのお祭りに参加して見たくもあったので、これからの行程を気にしながらも、お神酒を頂戴することにした。
お母さんたちが大きな鍋で煮た猪肉や芋なども御馳走になった。翌年の秋、同じ場所を通りかかったら10人くらいの人が掃除をしており、明日の勤労感謝の日がお祭りだと教えて呉れた。その翌年からは、お祭りに合わせて日程を組み、お神酒をお供えすることにした。1升担いで行けると格好良いのだが、年齢を考えて4合にしている。昨年のことであるが、それまでは神主さんの装束は白だったのに、黒だった。腑に落ちなかったので、そばにいた土地の方に聞いたら、いつもの神主さんが来られないので、天理教の神主さんにお願いしたのだと教えて下さった。まあなんて日本の神さまっていい加減なのだろう、私の大好きな植物と同じだなと、とても嬉しくなった。

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□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.11 ~

 人ごみの電車。その男は人々を掻き分けて乗り込んで来て、今空いたばかりの席に素早く座るとせっかちなあくびをしてすぐ眠り込んだ・・・。
 厚生労働省が磯博康阪大教授に委託して行った大規模調査によると日本人男性の間では行動がせっかちで怒りっぽく、競争心が強くて積極的な人のほうが、そうでない人より三割ほど心筋梗塞などを発症する危険性が低いのだそうです(女性には差が無い:科学新聞08/8/22)。
 この結果を信用するとしてそれは今の日本人に特有の現象なのか、それとも人類に共通なことなのか。もし後者なら、過去の人類の歴史に、或いは男という性に、そんな選択圧が(弱くても)業(ごう)のようにかかっていたのかも知れない。---こんな乱暴な議論をしてはいけません。しかし、せっかちの代わりにアグレッシブと読み替えると話は少し違ってくるのかも知れません。
 ラットの雄はドナウ川を泳いで渡るし(雌は違う)、過去に人類が経験した驚くほどの冒険的発展拡張も枚挙にいとまが無い。となるとアグレッシブな行動や競争の能力が種や種内の氏(うじ)の拡散に役立ったという考えもまんざらではないのかも・・・・。
 そう思ってこの眠っている(ように見える)男を眺めると何やらほほえましくなります。
 ところで、今年のノーベル賞をうけた3人の物理学者・分子生物学者からは気の遠くなるほどの根気・持続・善良な努力が伝わってきます。今の日本の制度はこうした研究者の生き方を難しくしていると批判されています。
 科学に限っても、文化全般に関わることでも、良い物事を為すということと、競争・効率追及が流行することとの間には、何かしら両立しにくいものがある・・・・。次回はこのことを書いてみたいと思います。

■ News Letter No.16 (2008年10月14日 配信)

□特別寄稿 JT生命誌研究館館長 中村桂子先生

「なぜヒトはヒトになり、ハエはハエになったのか」
松原社長とは、大学院時代の先生が共通です。一人が渡辺格先生、もう一人が江上不二夫先生。お二人共、日本の生化学、分子生物学の基礎を作った方で、個性のある魅力的な方でした。二人の先生についた理由は、渡辺先生が途中で東大から京大へ移られたため。松原社長は博士の時でしたから、実質的には渡辺先生の弟子だったと思いますが、私は修士だったのでお二人のどちらからも影響を受けました。江上先生の言葉で、今も記憶に残っているものの一つに、「僕は遺伝学は嫌いよ」というのがあります。「だって、ハエをつかまえて、眼が白いとか赤いとか、毛が縮れているとか伸びているとか言ってるでしょ。そんなことじゃなくてハエはどうしてハエなのかということを知らなくちゃ。」まさにその通りと思いましたが、でもメンデル以来遺伝学は変異株を使って調べるものであり、エンドウマメはなぜエンドウマメなのか、ハエはなぜハエなのかなどと言われても調べようがない、困るなあと思っていました。
それが、“ゲノム”という概念と実体とが浮び上り、エンドウマメゲノム、ハエゲノム、そしてヒトゲノムという形で生きものを見られるようになりました。今では動物だけでも36種ものゲノムが解読されています。ハエはなぜハエで、ヒトはなぜヒトか。これが考えられるようになったのですからすばらしいことです。ゲノム解析が始まった時江上先生はすでにいらっしゃらなかったのが残念です。今では、発生と進化を組み合わせて、少しづつ生きものの形ができ上ってきた様子が解かれつつあります。たとえば、hox遺伝子も変異体からその存在が明らかになったわけですが、そこから形づくりの基本がわかり始め、先生の問いに少し近づいているように思います。基本を作る共通のメカニズムと、各門、各種に特有のメカニズムとの組み合わせでさまざまな生きものができてくる様子を知るのは面白く、ゲノムの変化と表現型の多様化との関係も見えてきています。ゲノムには何が書かれていてどうはたらいているのか。
ヒトはどのようにしてヒトになったのか。ゲノムが簡単に解析できるようになったからどんどん解析すれば何かがわかるでしょうではなく本質を問いなさいと、先生の声が聞えます。

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□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

「オブラートに包んだスルメ」
今よりずっと体力があった助手時代、院生のK君とよく一緒に山を歩いた。
ある時、泊まる予定だった小屋の雰囲気が良くなかったので、予定を変更して翌日泊まる予定の小屋まで足を伸ばした。案内書に書かれている2日行程を1日で歩いたことになる。K君のお父さんが日本山岳会の創設者のお一人でもある高山植物の武田久吉先生と懇意だったことから、K君もしばしば武田先生とお話する機会があったらしい。ある時、1日で2日行程をこなしたという話を武田先生にしたところ、武田先生は「スルメをオブラートに包んで飲み込むようなものですね。」云われたそうである。耳の痛い話だったが、すぐには足にまかせての歩き方は直らなかった。しかし、オブラートに包んで貰っても、スルメを飲み込むことが出来ない歳になり、仕方なしにのんびりと歩くようになった。途中でお茶を入れたり、果物の皮を剥いたりと、歩くことから考えると全く無駄と思われるようなことをして、その間、足許の小さな虫の動きを楽しんだりしている。中村先生が、研究の中での遊びのようなことの大切さに付いて触れておられたが、全てが遊びのような山歩きの中でも、遊びは大切なんだと気がつき始めている。年に数回、若い人たちの研究の話しを聞かせて貰う機会があり、その度に、研究の進展の早さに驚かされている。
昔なら5年はかかっただろうという研究が1年のうちに仕上がっていて、驚いたり、羨ましく思ったりしているが、同時に、究極の楽しみである研究を、オブラートに包んで飲み込んでいはしないだろうかと心配にもなっている。

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□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.10 ~

 頼まれて、関西で二日間ルリアの世話をしました。私は来日研究者とはクールに付き合うほうですが、ストゥール(椅子)を持って、足の少し悪いこの人と奈良や京都を廻りました。深く付き合った訳は、一つには彼が物理学者、第二次大戦中の亡命者、そして分子生物学のパイオニアであり、且つ「人間を考える」人でもあったからです。生命の研究者が、自分のテーマに限らず、人間を考え、あるいは広く生命についていつも考えているのは、とても大切なことだと私は思っています。
 研究についても色んな話をしました。学者の本領は、「研究する価値のある課題は何か、人々はそれにどう迫って来たか、自分は何をもってそれにあたるか」を十分に考えることでしょう。そこで、ルリアの言葉:「此の頃はファンシーな装置や試薬を使う仕事ばかりだが、そういうもの無しで生命の本質に迫る研究がやりたいし、自分は今でもやれると思っている」。インパクトファクター崇拝の感覚とはだいぶ違いますね。
 60年代のことになりますが、彼のGeneral Virologyはそれまで病理学者のものだったウイルス学を分子生物学の問題に転換し、世界中で広く読まれた教科書です。話がそれに及ぶと、ルリアは、「実は、あれはイタリアのガルダ湖畔で一ヶ月ほどバカンスしている間に手をつけたもので、参考文献は持たず、全部頭の中にあるものだけで書き上げた。勿論、参考文献はラボに帰ってから入れたけれどね」と言いました。真新しい分野の教科書の章立てから考え、読み手をエキサイトさせる内容を繰り出しながら書き継いで行く、さぞ愉快な日々であったろうと思いました。
 ルリアはワトソンの先生でもあり、研究者と人柄を結び付ける時に必ず思い出す人物です。残念ながら亡くなりました。

■ News Letter 号外 (2008年9月22日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

*ニュースレター配信後となりましたが、柴岡先生からお寄せ頂いた
*季節感溢れるサイエンスエッセーです。

「彼岸花」
お彼岸です。彼岸花が咲いています。私の住んでいる辺りは少し前まで田圃だったところなので、ちょっとした空き地には必ず彼岸花が咲いています。それでもこの季節になると、電車やバスに乗って、彼岸花を見に出かけます。彼岸花はやっぱり田圃の縁取りをしている彼岸花が一番だからです。田圃の縁取りの彼岸花を見ようと思った時には千早赤坂村と云うところにある金剛山に行きます。9月中旬、山ではミズヒキとかアキギリとかアキチョウジなどが盛りの頃、登山口までのバスの車窓から田圃の畦で押し合いへし合いして咲いている彼岸花を見ることができます。彼岸花はバスを降りて少しの間は見られますが、人の手を借りないと山へは登れないらしく、人里を離れ山に入ると見られなくなります。中国の彼岸花は種ができるそうですが、日本の彼岸花は3倍体なので種が出来ません。
日本の各地で見られる彼岸花は、球根(鱗茎)による無性生殖により増えた、クロ−ンです。山登りが苦手なのは、種が出来ないからかも知れません。そのかわり川下りは得意のようで、近所の河川敷には大きな群落があります。河川敷の一部は整備されグランドになっていますが、グランドの中にも咲いています。頻繁に刈られるグランドの草は草丈が低いので、30センチほども茎を伸ばし花を咲かせる彼岸花はよく目立ちます。“花を咲かせても種が出来ないのに、どうして無理してグランドの中でまで花を咲かせるんだ。無駄なのに。”と言いたくなるのですが、逆に“お前はどうなんだ。”と言い返されそうなので、言わないことにしています。

■ News Letter No.15 (2008年9月5日 配信)

□特別寄稿 JT生命誌研究館館長 中村桂子先生

「遊んでるみたいだけど・・・」
 ヒトゲノム解析とその後の展開が示すように、生命科学研究の主流はヒトであり医学です。分子生物学は、松原社長がお書きになったような歴史を踏まえ、生命現象の基本を解きたいという願望から始まり、大腸菌という簡単で扱い易い生きものをモデルとして研究を進めてきました。もし、その学問的流れに忠実に進むなら、最初に解明するゲノムは大腸菌ゲノムというのが素直な考え方です。第一これなら、500万足らず(最近の生物学ではやたらに大きな数が出てくるので500万には足らずがつけたくなります)の塩基を解析すればすみます。それなのに、ゲノム解析はまずヒトから始まったのです。32億塩基対という、とてつもない数なのに。それは明らかに、がんという多くの人が強い関心をもつ病気への挑戦があったからです(もちろん遺伝病という課題もありますが、それだけでは国家プロジェクトにはなりません)。

 こうして、今や生命科学は、ヒトと病気を中心に動き、「役に立つ」ということが必要不可欠な言葉になっています。この流れの重要性を充分承知したうえで、でもこれほど多様な生きものがいることそのことの面白さを感じる心を失ってしまったら、生命科学研究の真髄は消えてしまうよと、秘かに思っています(秘かにと言いながらこういうところに書くのですから、ちょっと他の人にも知ってもらいたいと思いながらの秘かですが)。役に立つとは縁遠い、遊びのようなことをさせていただいている有難さを感じながら、でもこれも大事でないことはないんだと思っているのです(生命誌研究館のホームページなどのぞいて見て下さい)。

追記 柴岡先生のエッセイにありましたエゴノキ、我が家の庭の池の縁にあり、確かに花はホロホロこぼれます。果皮が池に落ちると魚にとって毒だと言われ、池の中のメダカがかわいそうかと心配しましたが、今のところ、花もよく咲きメダカも泳いでいます。

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□特別寄稿  大阪大学名誉教授 柴岡弘郎先生

 八ヶ岳に登りました。植物が好きだったので、東京近郊の里山は日曜毎に歩いていたのですが、ハイマツで覆われた山らしい山に登ったのは、八ヶ岳が初めてで、今から58年前、高校2年の時でした。その時出会った植物で、ずっと忘れずにいたのが、コマクサ、ウルップソウ、イブキジャコウソウです。
今年、八ヶ岳に登ったのは、そうした植物に出会うためです。イブキジャコウソウには早々と麓の道で会えました。コマクサを見るのに最も適したコースということで、行者小屋から赤岳への直登コースを這うようにして登り、辿り着いた山頂直下、採ろうと思えば簡単に採れる場所に咲いているコマクサに巡り会えました。
 登山者の間にコマクサを守ろうと云う意識が浸透しているのを感じ嬉しくなりました。翌日は硫黄岳のお花畑にウルップソウを訪ねました。花時期を過ぎていましたがウルップソウにも会えました。懐かしく、そして嬉しかったのですが、ちょっと気になったのは、コマクサ畑と呼んでもよいような柵に囲まれた場所の一面のコマクサでした。絶滅から守ろうと人為的に増やしたものと思いますが、あまり嬉しくありませんでした。ガス、雨、霰、雷の硫黄岳でしたが、ほんの短い間、視界が開け、赤岳が姿を見せてくれました。高校生の時に見て以来、目に焼き付いていた赤岳の姿でした。58年間もの間、赤岳の姿が目の中に残っていたのは、初めて見た時の印象の強さによるものと思いますが、当時カメラを持っていなかったので、目に焼きつけるより方法がなく、しっかりと焼きつけておいたからに違いないとも思っています。

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□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.9 ~

 1960年代の分子生物学は大いに活況を示していました。遺伝暗号トリプレットの解読、DNAの複製・転写・翻訳つまり情報の流れの解明、生命現象で最も難しいと思われた調節の問題も遺伝子で…、という成功が続いたからです。この高揚の中でモノーは「偶然と必然」を著して、大腸菌の事が分かればゾウも分かる、と高らかに宣言しました。大腸菌の研究だけしかなかった時代の話です。

 しかしその後、大腸菌の研究手法では、神経や脳、発生、形態形成など多細胞の問題には手も足も出ないということが分かると、今度は分子生物学は終わったのではないかという疲労感のようなものが蔓延し始めました。1960年代も終わりの頃です。

 そこに登場したのが、1972年のバーグ等による組換え実験技術。これであらゆる生物の遺伝子を自由に手に入れて研究できる時代が到来して、分子生物学は”ひっくり返るほど”変わりました。多細胞生物の分子生物学が一気に花盛りになり、今日まで続いています。たった一つのテクノロジーで如何に世の中が変わってしまうことか。そこで、1972年をもってBD(Before DNA),AD(After DNA)と区切っても良いのではないかと言う人も居ます。皆さんの研究の中にもこうした大転換の芽が隠されているのかもしれません。

 2003年のゲノムプロジェクトの完成と共に、今度は、あらゆる生きもの情報を相手に研究する時代が開けました。これも大躍進の跳躍台なのではないか。BG(Before Genome), AGという時代区分が現れるのでしょうか。

■ News Letter No.14 (2008年6月30日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授柴岡弘郎先生

* ニュースレター配信後となりましたが、柴岡先生からお寄せ頂いた
* 季節感溢れるサイエンスエッセーです。

「紫陽花」
 沖縄では梅雨は明けたそうですが、私の住んでいる大阪では梅雨の真っ最中、明日も、明後日も雨の予報です。梅雨と聞いて目に浮ぶのに、田植の風景、テルテル坊主そしてアジサイがあります。田植の風景と言っても田植機が一台動いているだけの風景ではなくて、一列に並んだ人が腰をかがめている風景です。テルテル坊主は、作ってくれた坊やの願いを叶えてやれず雨の中でしょんぼりとうなだれているテルテル坊主のことで、カラ梅雨の中、風に吹かれて翻っているテルテル坊主ではありません。アジサイも矢張り、日本からヨーロッパに渡り改良を加えられ日本に逆輸入された帰国子女のような西洋アジサイではなくて、日本語しか話せそうにない普通のアジサイです。アジサイは七変化という別名があるように、花の色が変わり易いことで有名です。花の色には赤、紫、青などがありますが、花の色にかかわらず含まれている成分は同じだそうです。色の元になっているアントシアニンと、アントシアニンと一緒になって色を安定化したり、色調を変えたりする無色の物質とアルミニウムイオンです。これらの成分の割合とpHで赤くなったり、紫になったり、青になったりするそうです。面白いことに、と言うか厄介なことに、花びらのように見えている蕚を顕微鏡で観察すると、細胞毎に赤かったり、紫だったり、青かったりと違う色をしているそうです。花の色の研究をしている方は、色の違う細胞、一個一個について、成分の分析をしようと分析法の開発を進めていますが、こんな問題の解決にもDNAチップは助け舟を出してくれるのでしょうか。(2008.7.2)

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□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.8 ~

 分子生物学はその原点を1944年のシュレーディンガーのWhat is Life?に求めるのが一般的です。読んで見ると、遺伝子というあらゆる生命の根源物質に着目して、その本体が情報を担い、安定だが変化もする高分子物質だろうという洞察がきちんと述べられています。

 理論物理学が花を咲かせた後に、彼らにとって、生命現象には物理学の法則から外れる何かがあるのではないかという気持があり、「構造解析と情報の解析」を両輪にした分子生物学が必要だ、と考えられたのです。

 遺伝子の本体に迫ろうという研究はその後アメリカでデルブリュック、ルリア、ハーシーら物理系学者を中心に発展しました。かのワトソンはルリアの弟子です。1950年代までは一握りの人々がたえずアイデアを出し合い、その発見は生命の本質にどういう意味を持つのか、次には何をするべきかを検討し合いながら、爆発的に仕事が伸びた夢のような時代だったそうです。仲間があまり次々と新しい考えやデータを送ってくるので、デルブリュックは「一寸待ってくれ、そんなに急がれては私に十分考えるいとまが無い」と言ったそうです。そして、やがてDNA二重ラセンの「発見」(1952)。

 新しい学問を作る興奮に包まれた時代は僅か50年から60年昔の話です。そして、その頃の「競争と評価」はpeerつまり仲間を驚嘆させ、感動させることが出来るかどうかにあったのです。

■ News Letter No.13 (2008年6月2日 配信)

□特別寄稿 大阪大学名誉教授柴岡弘郎先生

* ニュースレターに生命科学者あるいはその周辺の方に散文の寄稿を
* お願いすることにしました。今回は大阪大学名誉教授柴岡弘郎先生
* (植物学)の一文を紹介いたします。

「森の小径」
この季節、里山を歩くと、エゴノキの花に出会うことができます。
“ほろほろこぼれる白い花を”で始まる「森の小径」という歌をご存知でしょうか。このあと“うけて泣いていた愛らしいあなたよ”と続きます。春、まず目につく白い花はコブシの花でしょう。続いてシロヤシオ、夏の到来を告げる卯の花ことウツギ。暑くなる頃にはインドの沙羅樹と間違えられたところからシャラノキとも呼ばれるナツツバキ。草ではクローバの名で親しまれているシロツメクサから、“初霜のおきまどはせる”シラギク(多分リュウノウギク)まで、白い花を咲かす植物は数え切れないくらいあります。野山を歩きながらこの歌の中の“白い花”は何の花なのかとずーっと考えて来ました。“うけて泣いていた”ということからシロツメクサやリュウノウギクのような草の花ではないし、卯の花のような潅木の花も当たらないと思いました。頭より高いところに咲いていなければなりません。コブシもシロヤシオもナツツバキも頭より上で咲きますが、コブシの花びらやシロヤシオやナツツバキの花はポトンという感じで落ちて、ほろほろとは落ちません。長い間、このことを考えながら野山を歩いていましたが、何年か前にエゴノキの花ではないかと思いはじめ、今ではそれ以外にないと信じるようになっています。エゴノキの花はほろほろとこぼれます。

「森の小径」は若い特攻隊員が出撃の前夜に歌った歌のトップの座を占めているそうです。明日は死ぬという夜、故郷の森と、“あなた”を想って歌ったのだと思います。(2008.5.31)

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□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.7 ~

英語のできる人にはつまらないことですが・・・

国外のラボでゴムバンド、ホチキイス,セロテープ、白衣などが必要になったときどうしますか。
1960年代、未だ¥/ドル360円の頃にはガムバンド、ハッチキッス、セロテープなど、いくら発音を工夫しても通じませんでした。(ラバーリング、ステープラー、スカッチ、ラボコートが正解)。私はその頃ハーバード大学に行くにあたって、指導教官だった渡辺格先生のところに行って、「先生は以前、うちの超優秀先輩がアメリカに渡ったとき、いくら英語の勉強をしていってもダメだねと言っておられました、それで、私は会話の練習なしに行きます」といったら、「会話のできない人間なんてダメだよ」と言われました。格さんはそういう人でした。

それよりしばらく前に早石修先生と倉橋潔先生がNIHで顔を合わせたとき「あれは日本人か中国人か:Where are you from」で始まって気心を通じ合えたそうです。何も分からないところから生活を始めるのは大変ですね。私なども始めてパーティーに呼ばれてのトイレ:「May I borrow your toilet?」でびっくりさせたようです。今でもおまえはうちのトイレを持って行こうとしたとからかわれます。

パリのパスツール研究所に留学したアメリカ人がたまたま近くに居た松代愛三さん(φ80の仕事と関西弁アクセントの外国語で有名)の白衣の裾をつかんで「Qu’est-ce que c’est? 」松代さんは「Aizo, Aizo」 と答えたそうです。

Broken Englishが世界語になった今日、native speakersが有利なことはどうにもなりませんが、Oh, I see! 以上の会話ができる人は幾何級数的に増えています。人はすぐに「この人は力がある、この人は仲間だ、この人となら一緒に働ける」と分かります。言葉は不完全でも、正しく視、判断し、正しく動ける人々が今の閉塞状態に立ち向かう日が近づいているのではないでしょうか。

■ News Letter No.12 (2008年4月25日 配信)

□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.6 ~

春4月。今年は桜に恵まれた年でしたね。静かに、然し華やかに咲き誇った十日ほど、桜前線の日本縦断を新幹線の車窓から眺めました。
川の土手、神社やお寺、工場や学校の周りいたるところが桜で溢れていました。そして、農家の花はひっそりと、然し空よりもなお明るく輝いていました。 いわゆるお花見とは違う桜との付き合い。日本の人々がこれほどに桜を愛してきたのだということが分かりますね。

これだけの桜を誰が植えたのでしょう。山桜と違って里の桜は誰かが植えて年を経ないと見ごろになりませんから、みんな私たちの前の世代の人々が植えたものです。「美しい地球を子孫に残す」などという掛け声よりもずっと昔に。

そして、私らは何を残してゆけるのでしょう。

■ News Letter No.11 (2008年2月29日 配信)

□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.5 ~

数学の先生とこんな対話をしたことがあります。
「どうしてその命題に取り組むようになったのですか?」「何故かわからないけれども、解けるような気がしたから」「数学の研究はどのようにやるのですか?」「一度とりついたら、ずっと考え続けます。ご飯をたべていても、風呂に入っていても、トイレでも。目が覚めたときから眠るまで」。「それで?」「4、5ヶ月考え続けて解けないと、あきらめて次の命題を考えることにしています」。

寝ても醒めても考え続ける…。数学以外の分野でも、私はこういう人間離れした研究生活をしている仲間をかなりたくさん見てきました。自分の研究はそれでよろしい。それではグループでする研究はどうなのか。勿論、中核となる人が優れて重要ですね。彼は、指導者というよりは生き様を示す人でしょう。しかし、それはカリスマなのか、背中を見せる人なのか、反面教師なのか。仕事を成し遂げ、グループの人々に責任を持つ人物にも、色々な姿勢があるようです。(白状すると、私はカリスマ先生にはつきたくない)。

ところで、一番新しいフィールズ賞は世紀にまたがって大勢の挑戦者を拒み続けてきた幾何学の「ポアンカレ予想」を見事に解いてしまったロシアのグレゴリーベルレマン氏に贈ると決定した…しかしベルレマン氏は二十年の余にわたる人生をこの問題解決に捧げ続けたその挙句の受賞は断ったと報道されています。華々しいエピソードから遠ざかり、確たる収入の道が確保されているわけでもなく、ただ、世俗と交わりたくないという言葉を残してテレビの前から姿を消したそうです。

■ News Letter No.10 (2008年1月31日 配信)

□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.4 ~

皆さんどんな年越しをされましたか。 ゆっくり休みを取れた人、それどころではなかった人、良い正月だった、そうでもなかった・・・。

正月と切り離せないのは年賀状ですね。樋口一葉は年が改まってから心をこめてそれを書き、また、思う人から新年の挨拶が来るのを今日か明日かと待つ、その心をしたためていますが、今日このごろの年賀状はほとんどプリントです。でも、メッセージはちゃんと伝わります。忙しいのだな(印刷のみ)、がんばっていますね(一行書いてある)、ありがとう(近況や思いやり)、暇になってきたのかな(特に私らの友人の年代でたくさん書いてある)・・・。

外に目を移すと、インフレ、年金、株、ガソリン、ねじれ・・・と日本沈没か?いうほど立ち騒いでいます。然し、科学や技術のコミュニティは健康そうに見えます。問題は色々あっても、私たちが今やっていることは社会に、人類に、幸せをもたらす道を歩んでいるのだという、この基本はゆらいでいません。

2008年にあらたまるにあたり、遅ればせながら、皆様どうぞ良い年を、とお祈り申し上げます。

■ News Letter 号外 (2007年12月4日 配信)

□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.3 ~

 ブレンナーはRNA概念の提唱や、3連文字コドンの証明などでノーベル賞を受けた、スマートで華麗な経歴の持ち主ですが、実物は実にダサイ。いつもよれよれの服を着て釣師のようなチョッキをつけ、オートバイで転んで以来は杖を突いて、それでも世界を飛び回っている人物です。彼のMy Life in Scienceを読むと、南アフリカからケンブリッジに出てきた昔はこれほどではなかったようですが・・・。
 何かのはずみでこの人と知り合ったのですが、彼の対人関係は冗談漬けです。講演の中でTranscendental meditationとするべきところを、わざとTransitional meditation, Incidental meditation に変えてしまい、遂にはInstant meditationで結んでしまうという類のジョークを連発するのです。フグの遺伝子研究者を尋ねて鹿児島大学を訪れた時には、桜島の噴煙が市街地の方に吹き付けて、「困るのですよ」。「いや、良いアイデアがある。山頂にNO SMOKINGサインを出しなさい」。ちょうど、禁煙運動が盛んになっていた頃でした。
 その彼が手紙を寄越して「フグのゲノムを研究したい。ついては日本にしかないフグの孵化場、養殖場、フグの遺伝子研究者を訪れたい」と言うのです。「どうせまた冗談だろう、おまえさんの目的はゲノムよりもwaste の方だろう」。「いや、本気だ」。こうして脊椎動物の1/8しかサイズの無いフグゲノム研究が始まったのでした。「何故フグ?」「いや、飛行機の中で何となく雑誌を眺めていたらそのDNA含量が異常に少ないらしいから、自分で確かめてみたのだ。然し、将来のことを考えると海から捕ってくるだけでは駄目だからね」。一人の時は良く考え、調べ、そして行動する典型的英国人だったのです。ブレンナーはこれより以前に多細胞生物の発生研究に細胞系譜のはっきりしている線虫を使うべきだと提案し、ケンブリッジを中心に、大きな成功に導いたことでも有名です。
 それにしても、どうしてフグのゲノムは小さいのか?私は自己流アイデアがあるのですが、誰かこの問題を議論する人は居ないでしょうか。

■ News Letter No.9 (2007年11月15日 配信)

□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.2 ~

朝日夕日を眺めると、何となく生きているという感覚が湧いてきますが、夜空の暗い背景にしんしんと輝く夥しい星を見上げると無限に大きな広がりと時間の中に置かれた生命というものを実感します。それだけに、星に魅せられて夜空に望遠鏡を向けるアマチュア天文家がたくさん居るのも理解できます。それが、日常のお金や人間関係やパワーストラグルと何の関係がなくても。じっさい、多くの新星の発見はほとんどこれらの人々によって成されているようです。

ゲノム解析はヒトについてだけでも30億塩基の並びという途方もない「モノ」を人類にもたらしました。しかし、ゲノムの成立,有為変転、働きを理解するのはほんの緒についたばかりです。データベースを駆使し、プログラムを書けなければその意味は読み取れないというのは、ただの思い入れかも知れません。若し、コンピュ-タの画面でなく、これを夜空いっぱいに広がるように眺めることが出来て、そこにアマチュアが参加するようになったらば…。続々と新しい発見がもたらされるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

■ News Letter No.8 (2007年9月25日 配信)

□社長・松原より~ ん?そうか、それで? No.1 ~

松原です。いつもDNAチップ研がお世話になりありがとうございます。
ずっと大学にいたので、小さいとはいえ社長とは、思いもかけなかったことでしたが、もののはずみでこうなっています。その序に、と言ってはなにですが、これから毎号小文を、ということなので思いつくままに「そこはかとなく」書かせていただきます。(以上ご挨拶)

ほとんどの人は3才になるまでと、思春期にその一生を決めるような経験をすると言われています。このニュースレターを読まれる方々は、何かの事情で生きものに興味を持った経験があるのではないでしょうか。
分子生物学というとこむずかしいですが、結局それは、生きものの精妙さ、美しさ、多様さに魅せられた経験がある人々の働く場なのかも知れませんね。こむずかしいことの中に、その根っこを思い出す…。分子生物学会にも隠れ昆虫マンがかなり居たのですが、この頃は堂々と表に出て、学会のたびに「虫の会」が開かれ、中にはとうとう趣味と現実の仕事をマッチさせてしまった人も居るようです。経済や政治の人々の中にも、仲間が意外と多いのではないでしょうか。
深層の気持ちの共有は、仕事の進め方を変えるかも知れません。